津和野文化ポータル

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  1. 高岡熊雄

高岡熊雄 たかおかくまお Takaoka Kumao(1871-1961)

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北海道の開発に尽くした農業経済学者

 熊雄は1871年(明治4)、高岡直敬の二男として生まれました。直吉は熊雄の兄にあたります。津和野小学校を卒業後は兄直吉のいた山口中学校へ入学しましたが、その後兄の転勤にともない、札幌農学校の予科に進みました。農学校予科では欧米留学から帰ってきた新渡戸稲造(にとべいなぞう)が教師として赴任し、熊雄は彼から直接指導を受けました。
 20歳で本科の農業科に進学、卒業後は新渡戸教授のすすめで札幌農学校の研究生になりました。その後農芸伝習所の講師となり農業経済学や経済原論などの授業を担当しました。
 1900年(明治33)、33歳の時に農政学及び農業経済学の研究のためドイツ留学を命ぜられベルリン大学で経済学の研究に励みました。留学中はドイツ国内だけでなく、スウェーデン、デンマーク、オランダなどにも足を延ばし、調査研究を行ったといいます。4年にわたる留学を終えて日本に帰り、札幌農学校の教授として農政学や植民学などを担当しました。
 1922年(大正11)、熊雄は欧米視察に出かけ、アメリカ、カナダ、ブラジルを経てイギリスへ向かい、フランス、ドイツ、オーストリアなどを視察しました。ブラジルでの調査研究は「ブラジル移民研究」として、ヨーロッパでの調査は「戦後欧州に於ける農業改革」としてまとめられました。帰国後は図書館長、農学部長をつとめ、1933年(昭和8)、63歳の時に第3代目の北海道帝国大学総長に就任しました。在任中は研究機関の発展に努めるとともに、農業経済学会の初代会長に就任するなど多忙を極めました。1938年(昭和13)、65歳で大学を退官、その後も名誉教授として研究を続けたといいます。
 1950年(昭和25)、80歳の時に北海道総合開発委員会の委員長に就任、生涯北海道の開発につとめましたが、1961年(昭和36年)、91歳でその生涯を閉じました。

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