大庭政世 おおばまさよ Oba Masayo(1882-1939)
- 人物
日本初の産業組合病院創設者
1882年(明治15)2月14日、大倉谷(おおくらだに)(須川地区)の旧蔵方(くらかた)の小山嘉之右衛門(こやまかのうえもん)の三男に生まれました。京都農学校を卒業した後、1903年(明治36)、愛知県の農業試験場技手となりました。1907年(明治40)、小瀬村の大庭勝治の養子となり、農業試験場を辞めて農業に従事することになりました。大正7年(1918)12月、青原村の産業組合長に選任され、販売・購買・生産事業に力を入れたのでした。
1919年(大正8)11月には、農業組合の診療所を開設しました。これは日本で最初の病院経営を協同組合的な形で経営を行った病院でした。そのため、大庭政世の業績の中で特に高く評価されました。さらに1931年(昭和6)7月、石西購買(せきせいこうばい)利用組合共存病院となって診療が開始されました。診療内容は、内科、外科、小児科、産婦人科、放射線科がある総合病院でした。
もう一つの大きな業績に、1929年(昭和4)に開業した石西社(せきせいしゃ)があります。この石西社は、鹿足郡6ヶ村(日原、青原、須川、小川、柿木、七日市)の産業組合連合会による組合製糸として創立されたものでした。この当時、養蚕は農家の大事な収入源であったため、自らの手によって糸を販売することにより、農家を救済し農村の更生をはかろうとしたものです。
1939(昭和14)5月19日、58歳で亡くなりました。