津和野文化ポータル

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  1. 栗本格斎

栗本格斎 くりもとかくさい Kurimoto Kakusai(1845-1926)

  • 人物

人物のイメージ

津和野百景図作者

 格斎の本名は、栗本里治(くりもとさとはる)です。1845年(弘化二)5月7日、落合(おちあい)家の長男として生まれますが、栗本家の養子(ようし)となります。
 格斎は、津和野藩政時代において御数寄屋番(おすきやばん)という役職でした。この仕事は、殿様の側にいてお使えする役であり、茶室の管理なども行っていました。そのため、御殿内のことをはじめ殿様の生活などを直接見ることができた人物です。
 若い頃には、この時代の有名な狩野派(かのうは)と呼ばれる絵の流派を学んでいます。そのため手法には、その特徴が人物の動きなどに良く表れています。
 このように格斎の絵の才能と当時の役職から津和野藩のことを詳しく知っている人物として、津和野城下町全景図や津和野百景図などの絵を描くことを任されました。格斎は津和野城をはじめ、いろいろな行事や城中の様子など百景図以外にも多くの絵を残しています。これらの絵は50歳を越えてから81歳で亡くなる直前まで京都の地で製作されたものです。格斎が描いた津和野の絵は、写真などがなかった江戸時代の面影を知る上で大変貴重なものです。

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