津和野文化ポータル

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  1. 小藤文次郎

小藤文次郎 ことうぶんじろう Koto Bunjiro(1856-1935)

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日本地質学の父

 文次郎は1856年(安政3)、津和野町の新丁で小藤治生(はるお)の子として生まれました。養老館入学後、漢学や蘭学を修めました。15歳の時に江戸に出て大学南高(後の東京大学理学部)に入学しました。最初は化学を学びましたが、後に地質学に転向、24歳の時東京大学理学部の第1期卒業生として新しい学問研究をスタートさせました。
 卒業後、文部省の留学生として地質学を修めるためにドイツへの留学の命を受けました。3年3か月にわたる勉学ののち帰国、東京大学理学部へ勤めることとなりました。後に農商務省から地質調査所勤務を命ぜされ、本格的に地質学の研究に取り組みました。
 33歳で理学博士となり、1891年(明治24)に起こった濃尾地震ではその調査研究にあたり、大きな成果を残しています。44歳のときはそれまでの業績が認められ、東京学士院会員に選ばれています。
 文次郎は、研究の傍ら東京大学帝国大学評議員や東北大学理科大学の地質学教室の設置に尽力しました。64歳で定年となり退官、東京帝国大学の名誉教授となりましたが、後も研究を続け後進の指導にあたりました。
 1935年(昭和10)、80歳でその生涯を閉じました。

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