津和野文化ポータル

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  1. 伊沢蘭奢

伊沢蘭奢 いざわらんじゃ Izawa Ranja(1889-1928)

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大正中期の名女優

 伊沢蘭奢は、津和野が生んだ大正時代の名女優でした。30歳の時に「ベニスの商人」のネリッサ役で初舞台を踏み、38歳の若さで亡くなるまで、数多くの舞台でヒロイン役を務めました。
 伊沢蘭奢は、1889年(明治22)に津和野町後田の紙問屋三浦五郎兵衛の次女として生まれました。本名を茂といい、津和野尋常高等小学校を中退し、広島の英和女学校(現在の広島女学院中学校)、さらには東京の日本女学校(現在の相模女子大学)へと進学しました。1910年(明治43)、蘭奢は津和野の薬問屋伊藤治輔と結婚して東京で新しい生活を始めました。二人の間には長男の佐喜雄(後に作家になる)が生まれましたが、夫の事業が失敗したため治輔とともに郷里の津和野へ帰ることになりました。しかし、蘭奢は以前からあこがれていた女優になることがあきらめられずに、治輔と離婚、佐喜雄を津和野に残して29歳で上京し、近代劇協会に入りました。蘭奢は翌年「ベニスの商人」で初舞台を踏み、舞台女優としての第一歩を踏み出しました。雑誌社で記者として働きながらの女優活動でしたが、当時有名な島村抱月や松井須磨子らが亡くなったことを機に、日本新劇協会に移籍、その後はチエホフの「桜の園」や、谷崎潤一郎の「本牧夜話」、岸田國士の「温室の前」などで大役を演じ、次第に女優としての地位を高めていきました。蘭奢は舞台のみならず映画にも数多く出演し、当時の大女優というにふさわしい活躍をしていました。ことに1928年(昭和3)に帝国ホテル演劇場や浅草公園劇場で上演された「マダムX」では、ヒロインの蘭子役を演じ、各方面から絶賛されました。しかし、その年の6月、脳出血で倒れ38歳の若さで生涯を終えることになりました。蘭奢の墓は、JR津和野駅の裏になる三浦家墓地にひっそりと建っています。

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