津和野文化ポータル

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  1. 伊藤素軒

伊藤素軒 いとうそけん Ito Soken(1876-1957)

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人物のイメージ

帝展入選の画家

 本名は伊藤猶一郎(ゆういちろう)、1876年(明治9)10月9日、日原の旧家である泉屋(いずみや)の三男に生まれました。小学校を卒業して、日原の水津家(大和屋)が経営していた日原鉱山に勤めることになりました。
1899年(明治32)12月、京都へ出て帝室技芸員の今尾景年(いまおけいねん)という有名な画家の門下(弟子)に入り日本画家となりました。1906年(明治39)には東京で家庭を築き、審美書院(しびんしょいん)という出版会社に勤めことになりました。1908年(明治41)12月、東京で絵を描いていましたが、勉強のためアメリカへ渡ることになります。アメリカで絵の勉強をしていた時に、日本から依頼があり、ボストン美術館にある平治物語絵巻の模写を頼まれ110日間かけて完成させています。その後、1912年(明治45)アメリカのエール大学を終了し、1913年(大正2)に日本へ帰ることになりました。
素軒は森鷗外とも交流があり、明治41年~大正2年までの鷗外の日記には、7回ほど会っていることが書かれていまする。また、素軒は『ミレエ伝』という外国の画家について本を出版しようと思いました。その時、鷗外に序文を書いてもらっていますが、出版までには至りませんでした。
1925年(大正14)、第6回帝展という美術展に出品した「池二題(いけにだい)」が入選しました。この絵について詳しいことは分りませんが、2枚1組の絵で、池と鯉の絵が描かれていたようです。これをきっかけに鯉の絵を多く描くようになり、得意としていました。
戦後は島根県内に疎開していましたが、再び東京へ戻ることになり、1957年(昭和32)4月、82歳で亡くなりました。

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