山陰道(徳城峠越)
- 国指定 史跡
江戸時代、山陰地方の国々を結び、人や物資の往来の動脈として機能した街道の遺跡です。
近世の交通の歴史を知る上で貴重であり、既指定の蒲生峠越(鳥取県岩美町)に加えて、島根県津和野町に残る徳城峠越と野坂峠越が追加指定されました。
徳城峠と野坂峠は、幕末の津和野百景にも選ばれており、当時でも有名な場所であったと考えられます。また、この二つの峠は高低差が大きく、街道の難所でもあったと思われます。
徳城峠は、昭和30年代まで地元の人たちが生活の一部として利用し、また昭和59年に旧日原町の文化財に指定されたため、町の管理のもと、地元の人たちによって年数回の草刈りや倒木撤去を行ってきました。その結果、街道はほぼ当時のまま、きわめて良好な状態で保存されています。徳城峠は街道の平均的な在り様をそのまま伝えている区間といえます。かつて頂上付近の茶屋からは、北側に日本海や高島、南側には青野山などが見えたようであり、眺望景観に優れた峠でした。
また、青原駅と呼ばれた宿場町につながる最後の峠でもありました。