津和野文化ポータル

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  1. 森鷗外旧宅

森鷗外旧宅

  • 国指定 史跡

施設のイメージ

 文豪森鷗外は、文久2 年(1862)1月19日津和野町町田字横堀のこの家で生まれました。この辺りを横堀というのは寛永年間に亀井氏の造成した城の外堀が、鷗外旧宅の前を横に通っていたのでこの名が付けられました。
 鷗外の生家は土塀をめぐらし、門構えの士族屋敷としての格式をもった家であったと彼の著書に書き残されています。屋敷内に入ると左側に詩碑が建っています。これは鴎外が日露戦争従軍中に作った「うた日記」の中の「扣鈕」の詩を佐藤春夫の揮毫したものを銅板としました。
 鷗外の家は、代々藩の内科医で 80 石取りでした。祖父伯仙が、その弟子の中から娘峰子の婿に選んだのが、三田尻(現山口県防府市)の吉次家の次男静男であり、鷗外はその長男です。医家であることから、玄関向って左の三畳は薬の調合室であり、その奥の四畳半が鷗外の勉強部屋でした。

「森鴎外」の表記について

固有名詞である森鴎外の「鴎」の字の編は、正しくは「区」ではなく「區」と表記するべきところですが、「區」を編にした「鴎」の字は環境依存文字であるため津和野町ホームページ上においては、新字体を使用しております。津和野文化ポータルHP上では、混合し使用したうえで不具合が出ていないか確認しているところです。

津和野町では、出版物など環境に依存しないものに関する表記については、旧字体の「鷗」を使用するよう努めています。

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