旧堀氏庭園とは
江戸時代の「主庭」、明治時代の「楽山荘」庭園、大正時代の「和楽園」、畑迫病院の「外構造園」と借景である周辺地を含んだ約6.5haの範囲が国名勝に指定されています。これらの時期と景色の異なる大小4つの庭園の魅力を紹介します。
主屋と主庭
天明5年(1785)の建築で、座敷に面した主庭は簡素な平庭で周囲を漆喰仕上げの土塀で囲まれています。南西部に三尊石風の石組みがあり、背後の土塀を隠すように高さ2mのイヌマキの生垣が仕立てられています。玄関から庭門を潜ると主庭の中央を横断する形で飛石が据えられ、靴脱石と接続しています。
「楽山荘」と庭園
明治30年(1897)に上棟、同33年に竣工しました。楽山荘庭園は、背面の岩山を背景とし、その一部を削って滝や平場をつくり園内を回遊することができます。園内には、池の中に据えられた大型の雪見灯籠やその背後にある十三重の石塔をはじめとして、大小17の灯籠や祠などがあり、モミジやツツジ、サツキなどの植栽とともに美しい景観を構成しています。
和楽園
大正4年(1915)の作庭で、大小4つの池があります。自然の岩盤を利用して滝石組が組まれ、その間を園路が巡っています。数段の平場が整備されており、13代藤十郎の記念碑や眺望のための六角堂とよばれるあずま屋が建っています。和楽園は客殿「楽山荘」二階からの眺めを愉しめるように作られており、あたかも座敷縁先に展開しているかのように感じられます。
畑迫病院の「外構造園」
主屋から約1km下流には、明治25年(1892)に開院し、大正6年(1917)に建築された畑迫病院の木造の病院建築が残っています。病室や手術室に面した前庭部には、銅の精製物から製造された鍰煉瓦を用いた花壇があり、温室で育てられたチューリップが植えられ、薬草も栽培されていました。玄関前の広場の中心には円形の築山もあります。これらの敷地は近代病院造園の遺構として貴重なものです。